34歳からの数学博士

数学徒・プログラマ・一児の父

おとうさんであるということ

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幼稚園の頃の苦い記憶がある。 

 

先生が「将来なりたいもの」を順に聞いていき、僕は「おとうさん」と答えたところみんなに笑われたので、慌てて周りに合わせて「光GENJI」に直した。

 

幼少の記憶なので作り話がすり替わっただけかも知れないが、それを忘れずにいる程には「おとうさん」への憧れ(とそれを偽った悔い)を感じていたらしい。 

 

いま三歳の子供のおとうさんになれて、やはり自分の幸せはそこにあったんだと感じる。娘の安らかな寝顔を見るたび、お迎えのとき笑顔で駆け寄ってくるたび、家でひょうきんをして笑わせてくれるたびに思う。

 

それまで何をやるにも感じていた「この先に自分の幸せはあるんだろうか?」という疑念はもうない。

 


 

子供の成長を観察していると学ぶことが色々とある。

 

去年の今頃はイヤイヤ期真っ盛りでストレスが多かった。娘が「アレ」と指をさしたものが分からずに「どれ?」と聞き、「アーレ!」「どれよ、これ?」と繰り返すうちに怒って泣き出すようなこともよくあった。

 

次第に一人で出来ることや言葉で伝えられることが増えてくるにつれイヤイヤも落ち着いてきた。「アレ」で分からないときは「何色?」とか「どんな形?」とか聞けば適切に答えられるようになった。

 

ハイハイからつかまり立ちをして歩けるようになった過程や、イヤイヤ期を経てたくさんの言葉や行動を体得していった過程では、何かしら「できるようになりたい」という意識の芽生えがあり、「できない自分」との葛藤の中でアレやコレやともがき、ついには「できる」状態になっている。

 

成長とはそういうものなのだろうと、学生に戻ってからの自分の経験も重ねて思う。

 

先日ある人から「3歳児向けの学習ドリルがある」と教えてもらい試しに買ってみた。ペラペラめくってみて、割と難しいことをやらせるんだなぁと驚いた。「同じ種類の動物」という同値関係で商集合を作らせるような問題もある。しかしコツを覚えるとできるようになるので感心する。

 

「勉強する?」と聞くと「うん、勉強する」と言って膝に乗ってくる。集中力は長く続かないが、勉強を楽しんでくれているのは嬉しい。二人で並んで勉強できるようになれたら幸せだが、無理にやらせて嫌いにさせないようには気をつけている。

 


 

子供がいてくれることはありがたい。「可愛くて幸せ」ということもあるが、それだけではない。

 

子供にとって「いいお父さん」であるためには心身ともに健康でなければいけないし、安定した収入も必要だ(いまは無収入だが)。子供に充実した人生を生きることを促せる程度には自分の人生も充実していないといけないし、間違ったことを「間違っている」と教え諭せる程度には自分も正しい人間でなければいけない。

 

これらを充足させるのは簡単ではない。しかし目指すに値する納得的な指針があることが大切だ。評価は分かりやすく、子供が幸せそうにしているかどうか。娘の笑顔を鏡にして、自分の人生の軌道修正ができる。

 

20年スパンの長期目標があるのは良い。

 


 

育児をしながら大学院生をやるのは苦労も多い。

 

今月は娘がインフルエンザにかかって大変だった。熱が下がっても5日間は自宅待機せねばならないので夫婦交代で面倒を見た。期間が過ぎやっと保育園に行けると思った矢先、二度に渡って熱を出し、しかも夫婦にも感染ってしまい散々だった。年内にはここまでやろうと決めていたことが全部ダメになった。

 

学業に専念する上では障害も多いが、それも含めて生き方を学んでいると考えれば、これまで生きてきた中で最も学びの多い時間を過ごせている。そう考えると「父親も育児にコミットして当たり前」という時代に親であれるのは幸いなことだと思う。自分のためにも、子供との関係性の上でも。

 

今の僕の生き方を許してくれている妻にも常に感謝している。

 


 

昨年末から今まであっという間だったことを思うと、来年の今までもあっという間なのだろう。

修士論文は書けているだろうか。

来年もいい一年にしたい。